結婚をすることは血の繋がりのない他人と生涯共に過ごすことであって、苦楽を共にすることでもあります。”結婚”という言葉の裏側には”離婚”があり昨今ニュースでよく耳にするかと思います。なのでポジティブな結婚に対してネガティブな離婚という言葉の方が重く感じてしまいます。それでも若い人、一人でいる人や恋人同士は『結婚したいなぁ』って希望を持っていらっしゃる人がたくさんいます。
そんな人たちを後押しできるように自分なりに記事にしようと思います。
結婚するということはどういうことなのか?
いい歳になれば親から『結婚しないのか?』というプレッシャーや、パートナーからのプロポーズ。自らの結婚願望や考える事。この世に生を受けてから誰しもがどこかで結婚に対して接点があろうかと思います。
そもそも結婚の定義とは簡単に言ってしまえば”婚姻関係を契約して同じ姓を名乗って共に生活をする。財産を共有し合う”と言ったところでしょうか?
何だか硬い言葉ではありますが、とにかく自分の親よりも長い時間を掛けて好きな相手と一緒に過ごす事です。ずっと初心を持って思い合うことができたらそれは素晴らしいことですし、付き合ってから結婚していまだにケンカをしたことがない夫婦も存在しているのが少数ではありますが居ます。気持ちの器がとても大きな人たちだと思いますが、やはりそこは人間です。多数の方は忘れるものです。気持ちに小さな葛藤があろうものならばどこかで衝突してケンカに発展するケースもあります。自分はその多数派でありついつい過激に出てしまうこともあります。
しかし、ケンカをすることが全て悪い方向へ向かうのではなくて向き合う事、改善する過程であったり互いを知るきっかけである事。リスクはありますが深め合う一つの方法だと思っています。墓場だの我慢だの言うところのそれはこのような部分に該当するのではないのでしょうか?
しかし、一生掛けてパートナーが横に居てくれることは”自分を律する”その意味でも結婚と言う契約はモチベーションを高めてくれて自分に足らない何かを相手が見つけてくれる自分にとっては終わることのない努力や磨かなければいけないを何かを気づかせてくれる大切なものでもあります。
結婚とは必要なのか?価値観ってどうなの?
そんな紆余曲折を繰り返しながら13年とまだまだ浅いですが結婚生活をしてきました。その時の経過の中で”結婚の価値観”に対して変化はあります。
結婚に対して自分なりに肯定や否定、妻にもあると思います。結婚と言う枠に縛られるのは結婚するまで、あるいは結婚した後数年だと思います。時が立つにつれて結婚というワードがお互いから消えて夫婦、家族、表現が難しいのですが、お互いが補ってくれる存在に進化しています。
そんな存在になれるまでに熟す方法が結婚という方法であったかというと結婚する方法しか我々にはなかったと思います。
恋人という関係でここまでの結果を自分たちに出せたかと言うと無理だと思います。
それは結婚という定義を肯定的に捉えているという結果になります。
逆に結婚という定義に否定的な面もあります。それは”周りが見えづらくなる”という事です。守る人ができたのであれば注力を注ぐのは当たり前です。結婚をしても周りの時は止まりません。生きていれば人と接するのは当たり前です。いくら結婚をしてからと言って社会で知り合う人々や関係を持つ人、その繋がりは消すに消すことができません。特にそれが異性だった場合疑われたり嫉妬されて結果下心がなくても関係をその人とは結婚をしている手前閉さなければなりません。
相当な理解がなければ結婚することは自由を奪うということです。
遊ぶこと、学ぶこと、知ること、生きること、エネルギーをうまく分散してコントロールするという事ができなければ結婚そのものにストレスを感じてしまいダメになってしまうかもしれません。
何でも許すくらいの気持ちを持つ事
結婚をする人した人目線ではありますが、結婚生活をしていく中で苦労したり、その苦労を想像している方もおられるかと思います。自分は自分自身にも周りにも思いますが『許してあげられる気持ち』これだけあれば良いと思いますし、結果そのような気持ちが自分の中で芽生えたら成長していると実感できている証拠です。
自分が男なので妻に対してにはなりますが、
・家事を嫌でもしてくれている
・子供を産んで育ててくれている
幸せなことです。この2つに価値観が違ってケンカや文句もあり衝突はありましたが(今でもごくたまにあります)それでも健気に継続して頑張ってくれています。
それだけで満足です。
そう思えるようになったので何をするにしても頑張ってくれているんだからと許せるようになりました。それが絆なんだと思うと何か誇らしいです。
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