親切でいられる事、信頼されるためにはかなり重要な気持ちや行為です。私が悪い時はこのコントロールができなくなり度を超えたお節介に変身します。よくこの境遇に遭遇することがあるのですが、気がついた時には進行していることが大方です。そうならないためにも線引きをしておく心構えと、結果を待てる自分を養わなければいけません。
ただ、信頼をされるために起こす気持ちではない。でもどこかで期待してしまう自分の弱さ。ちょうど良い線引きって何だろうと葛藤しています。
またやらかしてしまった”お節介”
”こんにちわ。あっひょっとかしたらこんばんわ”
”これも、あれも、向こうのあれも持ってて良いよ”
…要はこう言ったことなんです。自分としては親切のつもりで相手を気遣って、想定できる全てのことを満たせるように言葉を掛ける。私の良いところでもあり、最悪なところでもあります。
相手からしたら『挨拶なんだからクドクドしないで欲しい』『そこまで求めてないけど…』と思われるかもしれません。
不要なお節介とは
歳のせいにはしたくはありませんが、先輩や友人に気を遣われることよりも後輩や家族に気を遣わなければならないシチュエーションの方が最近では増えています。
気を遣う?思いやる事?
正解は言葉にしたら単純なんです。ただ相手がある事なので相手の性格や人柄を見極めながら行動しなければ時に不正解になることもあります。
私の想うお節介というのは”したたかさ””見返り”それらを思い浮かべます。
必要なお節介とは
言葉にあまり自信がありませんが、”必要なお節介”というものがあるのかどうか?私はあると思います。例えばいけない事を誰かがしている時には、見えないフリをするのではなく意見をするだとか、深い話や、境遇にあった時に突っ込んで目一杯答える事。または叱る事。
”お節介を介した最大限の親切”
時にそう言った行動をして助けることも、助けられることもありました。
お節介と親切の線引き
親切は常に必要な心で、お節介は使い分けることが大切だと思います。
私がよく失敗するお節介とは”答えを求めてしまいすぎる事”です。そのためには待つ余裕がなければいけないと思っています。しかし待ち過ぎたら相手はどんどん離れていってしまいます。
ただ離れていってしまうことを恐れないことも重要だと思います。
『〜であって欲しい』『〜で居て欲しい』と願う気持ちがすでにお節介となることが何度もありました。期待を持つことがそうさせてしまうのかもしれません。それで苦しめたこともあります。
”お節介”を主語にさせないことが線引きだと考えています
相手の気持ちの中で『〇〇さんのお節介が…』とお節介という言葉が主語になる様なのであればそれは本当にお節介だと思います。
『〇〇さん、ありがとう』
『〇〇さん、助かった!』
『〇〇さん、ごめんね』
と自然と言われることや、お互いの疎通ができていれば親切なのだと思います。
相手の立場を重んじること=親切
自分本位がお節介なのであれば、相手本意で考えられるのが親切です。
自分の口から気持ちから”親切”と言っていては本当の親切ではないと思います。それは親切の押し付けになってお節介に生まれ変わってしまいます。
私自身にも本当に言えることですが、日々反省しながら本当の意味で相手の立場を考えて、思いやる事を素直にできる人になりたいと邁進していきたいです。
ちなみにこう言った相談はお節介でも私は良いと思いました。↓
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