障害者雇用で働く人に対しての周りのフォローとは優しさ?厳しさ?2年目の成長と期待。見つかったトラブル〜後編〜

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前編では障害者枠の子への”優しさが甘えになってしまったがための差別”についてお話しました。
(前編ページへ)
後編では逆の”厳しさを持つための必要悪、区別をする”話をしていきたいと思います。

必要悪と言う名の厳しさ

”必要悪”という意味は「良くないことではあるが、組織、社会にとってやむをえず必要とされること」です。つまりは必要とされることであって、必要とされていないのに敢えて必要悪と語るのはどうなのかなぁ?とも思いますが、私自身こう考察しました。

彼にとって一年の間に身についたサボる、怠ける。これらを当然のように上司並び先輩は注意します。が、結局のところ事情を聞き「無理しなくていいよ」「大丈夫だから」と会話の終点につないでします。以前に記事で「事情と都合の話」をさせていただきました。
その記事から見てみると、サボる事怠ける事は本人の都合なので本来フォローなんて出来ないと思います。特別な子だから?いや違うと思います。傷つける事に臆した注意する側の問題だと思いました。
私も彼に対して傷つけてしまうのではないか?そう思っていた一人です。
ですが、よくよく考えると”嫌われたくない”その気持ちが大きく私の中で作用していたのだと思います。本当に言う側の問題であり、相手のことは後回しのような接し方であったことを深く反省です。

上司にその旨を告げ、悪気はありませんが周りで唯一なのかもしれませんが慣れることのない事私自身始めることにしました。

嫌われる事に臆さないアプローチ

嫌われたくなくても嫌われることだってあります。だから会話をする時に気をつけながら話をするのはほとんどの方が意識していることだと思います。しかし、今回は”嫌われる前提で悪になる”ということです。彼にとって「だめだよ」の一言では効きません。なぜなら一度周りが許してしまったからです。
なのではっきりと「サボっているよね?怠け過ぎだよね?」この事実を意識させるところからはっきり告げました。彼の口角は下がり(マスクしているので確認していませんが)目尻は上がり、返事や態度が一変しました。分かっていることです。こうならないよう今まで身をお互いが傷つかないように接してきたのですから…。

キャパを超えてしまうようなお願い事をする

普通なら考えてもそんなことはしません。ましてや障害があって、その障害が知能なら絶対にやってはいけないことだと思います。ただ、その知能でどこが苦手でどこが得意なのかあるはずです。サボることや怠けることが率先してできた。仕事には休まずに来ることが出来る。指示を待つ身ではあるものの指示を聞いて動くことが出来る。それを分かって意識して言います。
「100%の仕事をしよう」と。
今もし50%の仕事をしているのなら、甘えの中で失った50%の仕事を取り戻そうと。それは将来100%でなくてもいい。甘えの中で失う50%の中身を30%取り戻そう。
そのようなメッセージを乗せて「〇〇は全てあなたの責任で任せます」「出来なければ出来ない理由を周りに自分から言って伝えてください」
障害者という立場上厳しいかもしれません。でも誰であろうとも何かの仕事をする、その責任は生じるものです。
仮に出来ない事であれば出来ない理由を添えて伝えればいいだけの話です。

結局は彼は必要であるという認識

とても辛いですが、敢えて悪を引き受ける、厳しさを露呈するということは結局のところ良くなるためのステップ。今回のケースで言えば必要悪が必要であったということです。
正直、他人がどうであろうが関係ありません。自分自身良ければ良いだけです。我に返ってみればそう思うときがあります。ただ、身に降りかかる私達に彼に”負担””負荷”というものをどれだけ受け止めることができるのか?精神論ですが、対人でウエイトは変わってくるはずです。


私自身、障害者として特別扱いをしたくはありません。彼は常に存在しています。仮に私の子供が障害を引きずって生きたとしてもそうなってはしてほしくないように。
厳しさの中にものすごく成長を期待しています。

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