障害者雇用で働く人に対しての周りのフォローとは優しさ?厳しさ?2年目の成長と期待。見つかったトラブル〜前編〜

仕事をチームで行う場合、必ず役割というものがあります。花形の仕事から雑用まで幅広くあり、全てが満たされて一つのものが出来上がる。チームというのはそういうものだと思います。
今回は私が行う仕事”製造業”でのチームとしての作業、その中で”障害者枠”で働く子のチームでの立ち位置と現状。リアルを伝えていきたいと思います。

彼が職場に配属されて一年が経ちました。良くも悪くも”成長”

彼、障害者枠で配属された子は4月で勤続一年になります。
性格は一言で真っ直ぐな子です。持っている障害は知能が少しだけ低いというものです。
そんな彼も一年、働くということ自体経験がなかったものの、継続して出勤をして一年頑張ってきたと思います。これからまだ40年近く働くための基盤が出来たこと。その成果は自分自身で悩み乗り越え作り上げてきました。ただ一つを除いて…

サボりぐせ、怠けぐせが抜けない

そうです。誰にだってあると思いますが、これが彼にとっては少し他の人と比べて違う染み込み方をしてしまったのです。私自身にも同じような障害のある子どもがいるので重ねながら見ているのですが、苦労すること、苦手なことを克服するためのエネルギーの使い方は普通の人よりも必要になるように、彼のサボる、怠ける癖は取り除くことが難しい局面を一年経った今迎えようとしています。

悪い癖がついた”本当の背景”優しさという甘え

他の人とは違う染み込み方をしてしまった一番の原因は私自身もそうかと思います。それは優しさです。優しいと言ってもカタチはそれぞれありますが、彼に対して向けた優しさとは甘やかし、特に周りを含め”障害”というところに配慮した方法で優しさを見せてしまったということです。
それは彼自身に特別感を抱かせて、本人が周りに合わせる努力を奪おうとした行為であるとも言えます。上司と彼との間で仕事のやり取りを任せっきりになってしまい彼にとっては横の繋がりは一年を過ぎてただの甘え、そして疑いとなってしまったのです。

悪い癖がついた”本当の背景”全員が味方になってしまった

そして、その甘えに対して周り全員が寛容になりすぎてしまい当たり障りのない接し方を行っていた事実。それは彼にとって全てが正解になってしまい、結果サボることや怠けることさえも肯定出来る理由になってしまったということです。

だれもがやりたくはない”悪者”

でしゃばりかもしれません。ただ私自身このまま彼がずっと仕事をしていく上で今の上司、仲間が許しても、状況を知らずに新しい仲間が現れた時、また彼が知能の障害が克服できた時、否定的に見られた時に正解と不正解を判断できる事が出来なければ一番困ってしまうのは、紛れもなく本人です。
その時に今まで甘やかしてきた人が「大丈夫」と言ってもよいのでしょうか?それはあまりにも無責任ですよね。
なので、とても嫌ですし、立候補したくてしたわけでもありませんが、はっきりと私には彼がどう見えているか本人に説明するための彼にとっては”悪”になるしかありません。「大丈夫だよ。」とは真逆です。
上司は親身になって接したのかもしれませんが、
「一生彼に付き添って行かないのなら、その後同責任をとるつもりですか?誰か任せられる人がいるのですか?無難なのは良いけれど、災難だと本人が感じる時に側にいてあげられますか?」さすがに言いました。

「障害者を障害者として見て接することは普通なのかもしれませんが、差別と区別は違います。今周りがやっているのは過保護にするための差別です。必要だったことは理解できる人が分かる分からないを区別して渡すことではないのですか?」

「出来ないのなら…分かりました。私がその必要悪になります。」

こうして嫌ですが”悪”を請け負うことにしました。

後編につづく。〜厳しさを持つための必要悪〜

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