【褒める難しさと意味】もしかしたら褒めたことによって相手を貶しているだけかもしれません。”勇気づける”好意が大切です。

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今回は”褒める”言動や行動について語っていきたいと思います。書くきっかけは目上の人に対して褒めたつもりが「あれっ?貶してしまっていないか?」という私側に疑問を感じるところからでした。

※毎度ながら完全な自論です。何か参考になったら幸いです。

褒めるってどんな事?

”褒める”とは優れていることを良く言うことです。ちなみにもう一つの”誉める”という言葉は良いことをして称えるという社会的功績や偉業に対して使う言葉になります。
今回は”褒める”というところでお話をして行きます。

褒めたことが貶していると聞こえてしまった

今回一番話したい部分である「褒めたつもりが貶してしまった」ここについて話をしたいと思います。
「俺は誰にでも意見ができるんだ!(すごいだろ)」と語ってきた目上の人に対して後輩の人はどうやって回答しますか?
・「すごいですね!」「かっこいいですね!」
・「自分には出来ません」「尊敬します」
・「〇〇さんがいると心強いです!」

パッと出てきた回答ですが、全部不正解です。なぜなら褒める側の私に気持ちが無いからです。そしてそんな気持ちのない回答を繰り返していると…
・「お前は上から言うよなぁ」
・「なんかお前と話していると釈然としないなぁ」
・「なんだかお前達と話しているとイライラする」

と、まぁ勝手なことを言い出すわけです。「どうして欲しかったんだ?」とハテナで終わってしまいます。そんなこんなでなぜかその不機嫌が私に降り掛かってきたというのが今回の話の種でございます。

このように褒めて欲しいと求められる言動に褒め返しをする行為はうまくは行きません。無論褒め返しをする側に興味がないことなら尚の事であります。
むしろ「別に凄いことでもなければ、考えて発言しないとストレスっていう火の粉が飛んできますよ。」と本心を言ってあげたほうが良いのかもしれません。
実際は私に降り掛かってきたというお話になるんですが…

褒め方にも時代錯誤がある?

「俺って凄いだろ」って主張することは本人がどことなく過小評価されているのではないか?そんなところから来る褒めて欲しい、認めて欲しいという訴えだったんだと思います。
なかなか自ら褒めて欲しいなんて言う人は少数派だと思っていますが、年齢を重ねていくと周りとの比較、感覚的状況、緊張感の緩み、私なりの見解ではありますが積み重ねてきた物事の重さが明確になって褒められたいという欲求の強弱が様々な場面で出やすいのだと思います。
(私もそういうところがあります)
そして、褒めるということがうまく出来れば相手の興味や意欲や好意を引き出せる最大の武器にもなります。褒めるなんてことは日常的になかなかできることでもありません。なので意見しない若い子に対してはなかなか目配りが出来ないのが大半だと思っています。

私が周りでは、目上の人は格差、比較という視点。世の中が格差であっても若い人たちは平等を唱えています。なので前述にあるような「俺って凄いだろ!」っていう主張をする人は若い人には殆どいません。凄いな、立派だなって思うことを淡々とこなしている今の若い人たちが私の周りの人間です。
もちろん目上の人でも本当に尊敬するぐらい凄いって思える人はたくさんいます。

若い人がには合理的・計画的に理性で話をする。
目上の人には情緒的・衝動的に本能で語る。
私が今社会で中間の年代にいるとするなら両世代と向き合うために養って理解をしておかなければならない褒めるためのスキルだと思っています。

褒める意味とその着地点は”勇気づける”

褒めるという観点から話をしましたが、褒める側(私)は何をそれに求めるのでしょうか?人間関係の維持?そのくらいにしか私には利点がありません。
うまく褒めることが出来れば関係は良くなり、そうでなかった場合悪くなる。気が付かないところで褒められる側もそういったリスクを双方持ち合わせることになります。
もし、会話の中で求められた事が”褒められたい”内容であって自分自身にあまり興味のないことであれば勇気づけて会話を広げたり終わらせることをおすすめします。
「俺って凄いだろ?」
「すごいですね!かっこいい!」
「………で?」

ってなるよりは
「俺って凄いだろ?」
「そうやって言えることが普通では出来ません」
「〇〇さんしか出来ないことですそれは!」
「そ…そうか?」
「だからみんなの代わりに代弁してくださいね」

良くも悪くも主張されたことに何かしらの評価をして期待をする(勇気づける)ことをすれば少なくとも話が飽和しません。

落ち着いている若い人、主張しない人たちに対しても、
「ようやく出来ました」
「へぇ〜。すごいね!頑張ったね!」

とどストレートに返事するのではなくて、
「ようやく出来ました」
「え?もう出来たの?自分だったらもっと掛かったよ」
「センスがいいんだなぁ」
「そ…そうかなぁ?」
「もしかしたらこれも〇〇くんがやったほうが早いかもよ」

と、背中を押すような言葉をかけたほうが良いと思います。仮に私側にその気持ちがなくても褒め返すよりは「あなたの長所なんですよそれは!」という投げかけによって「期待してくれた」と一つの着地点、スタート地点が生まれます。つまりは褒める褒められるというのはその場で完結しないということなのです。

褒めるは”通過点”にすぎない

褒める褒めるにスポットを当ててきましたが、褒める行為で満足した・させた、とはいきません。ときに”褒めれば良し”とか”褒められると伸びる”と聞くことがありますが、あくまでも結果というものがあるからこそ言えることです。私自身も褒める行為は相手を喜ばせる・励ます、良いことなんだと思っていましたが今回の私の身に降り掛かった事、よ〜く考えてみて褒めることが物事の通過点でしかないことに気が付きました。

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