現在感染症患者の方達の病床の空きが少なくなっています。また医療従事者の方達にも物凄い負担がかかっていることはニュースでも取り上げられ”医療崩壊”という事が懸念されています。
当然感染してしまった人の多くは掛かりたくてなったのではなくて被害者であることはいうまでもありませんが、予防という予防を一般市民は常に忘れてはいけません。私もいつ掛かるか?可能性を持っている一人です。
私が今、医療が病気がこのような状況になっていることで一番困ることを感じるのは”時間””心の損失”だと思っています。決して流暢な事を言っているわけではありません。
どうしてそう思うのか?強く感じる事を紹介したいと思います。
家族の時間を奪ってしまい、心の損失が発生する
まず以前に書かせていただいた父の闘病日記の記事です。
物凄く長い記事になりますので割愛させていただき紹介すると『末期がんの闘病』『最後の家族の半年の時間』のお話です。これは3年前ですが、もし今同じような事が起きていたらどうでしょうか?
”間違いなく会話も面会もできません”
つまり入院して家族に会えずにそのまま死を迎え、残された家族もその死を寄り添って見届けられない。あり得ない現実があります。
きっと私は無理に無理を押し付けて父に会いに行ったと思います。
それすら今はできません。
病院に限ったことではなくて、老人ホームでも同じく顔を合わす事ができない。今そういった事が起こっています。
普通に出来ているはずの事ができない現実は今このタイミングで経験をされている人はとても歯痒く思っていると思います。私ももし父が今の時期に末期がんになっていたらと思うといたたまれません。
命に限った話ではありませんが、生きているすべての人が上記のことに対して必要のない疲弊をしてしまい結果後悔や、取り戻すことのできない時間を作ってしまう負のスパイラルが発生してしまいます。
救える命=時間を考えたら行動が変わるかもしれない
自分もいつ掛かるのか?予防していたとしても本当にわかりません。
ただ、感染症に掛かる事が自分も、知らない誰かの心の負担を増やす事や大切な時間を奪ってしまう事があるという認識は持っていないと正しい行動を考えることはできないと思っています。
今は万能に効く薬のないコロナウイルスにならないように、もしなったら自分の体よりももっと大きな負担が周りに行ってしまう事をしっかり認識していきたいと思います。
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