やっぱりBJC(ブランキージェットシティー)が好きです

結局のところ自分の音楽のルーツです。

BJC?今の若い人は知らない人もいると思います。
ブランキー・ジェット・シティーという3人のバンドです。

ヤバい人たち?そうなのかも知れませんが、ご存知の方達とはずっと語ってられるほど自分はファンなんです。紹介をさせてください😀
・ギターボーカル 浅井健一
・ベース 照井利幸
・ドラム 中村達也 
この3人が奏る音や雰囲気、一言では言い表せないくらい凄いんです。
しかも楽器は3つだけなんです。その3つだけ、浅井健一の声だけで喜怒哀楽を振り切れるほど表現してくれる、今も解散から20年経ちますが聞いては自分のボルテージを上げてくれたり、脳内麻薬っていうのかな?力になっています。

この人たちがいないと今の自分はありません。

大袈裟かも知れないです。自分が人を崇拝する事もほぼないです。
過去見てもこのバンドくらいかも知れません。
具体的にいうとBJCの曲をきいて感じて行動できた事がいくつもあります。
それが成就した事もあります。
例えば…
『楽器を買おう、覚えよう』
『バンドをやろう、ライブをしよう。女の子にモテたいなぁ』
『音楽もっとやりたいな。学校行こう』
『明日感謝しよう、謝ろう。受け止めてくれる』
『結婚しよう、楽しく幸せにしよう』
『無理だと言わず、やって、やりきろう』

数え切れないくらい背中を押してくれています。今も。

どこに良さを感じているのだろう?

自分の経験をこの後言おうと思いますが好きな音楽って人それぞれでいいと思います。
綺麗な曲、泣ける曲、共感できる曲、また顔や話題性のある音楽。自分もジャニーズとかJーPOP好きですし、嫌いな音楽はありません。
BJCの音楽は綺麗は当てはまると思います。共感?話題?泣ける?そこには該当するところは見当たりませんが、これも例えで言うと音楽を聞くと言うよりも音がこちらへ向かってくるという感覚になります。追いかけられるというか、時に追い詰められるような感じです。自分は”M”なのでしょう。

楽器をかじった自分から言うとギターボーカルの浅井健一の尖ったり、甘えたりする声に自由奔放に弾く、もはや愛用ギターのグレッチが鳴いて、ドラムが何を叩いても野性よりも野性的な暴力的な、爆発しっぱなしの振動を、それを渋く冷静に包み込むベース、顔色は3人とも違うのにこんなにバチっと決めまくる。映像を見ながら聞くと臨場感が画面越しにも1000%伝わってきます。
説明が伝わらないかも知れませんが後にも今にもない特別な感覚をこのBJCに持っています。

だから同じ目線になりたかった…

かっこよさしか見えませんでした。この時高校入学を控えた自分は当時友人の家で”バンドやろうぜ!”って言う雑誌を買ってテンションが上がった我々はバンドデビューするためにギターとベースを購入しました。自分はベース担当です。
高校に入りドラムをやっている子を見つけて憧れた3人という形になりました。
マネができる…期待をしながら練習をして音合わせをしてみると…
あまりにもひどい。音は正直です。悪くないのですが、
1 楽器を弾きながら歌えない
2 ドラムがだんだん早くなって演奏が追いつかない
3 ベースが聞こえにくい、合っているのか分からない
4 他の楽器を見る余裕がない

正直舐めていました。でもやってみて分かりました。センス以前に持っていなければならない基本がなっていないことにここで初めて気付きました。
セッションをして感動する、感動させるその達成感を味わうことは到底先の話なんだと3人で痛感したことを覚えています。
当時メロコアブームで周りの高校バンドマンは楽しそうにハイスタ、ブラフマン、ハスキングビーなどをコピーしていました。自分たちも同じように真似してみたら割とうまくいって、それなりの感動・達成感を味わうことができました。

我らのバンドはBJCを忘れたいかのようにメロコアに没頭しました。

諦めたくもなかった

高校生活が終わりを迎える頃、自分はもっと音楽をやりたい、真剣に向き合いたいと思ってYAMAHAの音楽養成学校に進学するために今までやっていたベースをギターに持ち替え猛特訓して40人中5人の難関に合格しました。すごくうれしかったです。
音楽を極めたいと思ったきっかけは当時通っていた楽器屋さんに週2回来ていたギターの先生に憧れたのがきっかけで自分の進路を相談した時に『これさえやっておけば合格できるから』って親身になってくれたことその思いを紡ぎたかったんです。大人に期待されたことが新鮮でそれもうれしかったです。

ただ、そんなに甘い物ではありませんでした。
周りの生徒は小さい頃から音楽に触れ、御坊ちゃまお嬢様のような人、”絶対音感”を持った人ばかり。自分はベースを3年、ギターは1年生で鳴り物入りのような。もう埋めることのできない差がありました。
課題も凄いんです。苦手だったのは”自由演奏”。30秒先生が弾いた演奏をすぐその場所でアレンジしなさいって、一般人にはできませんでした。臆して弦も握れずに毎回怒られました。

違う!違うんだ!

それでも食いついてなんとかその時はがんばれました。
でも、1年立った頃に気持ちと体がガス欠を起こしてしまい、『何のために音楽をやているんだろう、全然面白くないや。』
学校まで往復3時間かけて、親にも援助はしてもらっていましたがそれでも足らない分の定期代と授業代、揃える物、交際費だって稼がないとやっていけなかったので、朝7時に起きて学校へ向かい、レッスンを終え16時に帰宅。17時から次の日の朝4時までバイトをして、終わったら課題練習。ひどい時は電車の中だけが睡眠時間でした。

もう音楽はやめよう。面白くないや。

音楽と職業。それを結び付けようと思って挑んだ目標であったのに、いつしか諦める道を選んだのです。

失ったもの

当時も自分は学校とバイトの行き来で誰とも会えることができず、友達の誘いを断り続けていました。当然ですが誘われなくもなりました。

収入もバイトでは社員で働いている子に比べたら少ないです。しかも夜勤続きだったので友達と時間も合わせることができません。

じゃあこれから何をしようか、目標がなく病んでいました。

大きく失ったのは大好きなものから目をそらした事実と時間だと当時は感じていました。

戻った”音”と”楽”と得られた”感”

〜音楽を通じて〜
自分にとってはまた違う環境なのかも知れません。音楽を聞くことすらこの時はしていませんでした。
『久しぶりに飲もう』ってバンドメンバーと会うことになった時に『やっぱり高校の時最高だったよなぁ』って会話があり当時の音の作り方、合わせ方、技術的な話や詰め詰めのライブハウスで演奏できたことも、バンド掛け持ちして怒られたことや、『モテたよなぁあの時』とか。その会話の時間と回数が少しずつ気持ちの変化を持たせてくれました。
結果ライブをやることはしませんでしたが、たまにスタジオに入ってメロコアを弾き思い出し、遡って『そういえばBJC挫折してたね』って話になり『挑戦してみる?』ってなってやってみたら初めて合わせた時にできなかったことが普通にできるようになっていて感動したことを覚えています。ここでまた音楽に感動したのもです。
我々も3人で趣味程度ではあります。でも確かにやってきたことの蓄積や音楽を3人でやる、”音””楽”で得られる”感”は沈み込んだ音楽への見方を変えてくれたし、このメンバーには今でも感謝しています。

でも今でもギターはずっとそばに置いてあります

音楽を止めようと考えた時、もうギターは捨てようと、壊してしまいたかったのですが、これがなければ今までの我慢したことも、悲しい苦しいを耐えて乗り越え、辛い時間を過ごしてきたことも。それ以上に喜びや感動も与えてくれました。
…物凄い濃い時間、挫けそうなことがあればギターを眺めて、BJCをきっかけに…遡って音楽を聴きながら励まされています。常にレスポンスしてくれている思い出が詰まった宝物です。

という長いお話でした。ありがとうございました!

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