【子供の発達障害についての悩み】本人と周りの生活環境と乗り越え方

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発達障害の事、今では隠したいとは思いませんが、最近自分の子供が告知された人、もう告知をされて歩き始めている方では気持ちの持ち方は違います。私の記事を読み気分を悪くされるかもしれません。差別と感じる方がいるかもしれません。勇気をもてる人もいるかもしれません。私のリアルを書いた長文になります。時間が許す限りお付き合いいただけたら倖いです。お願いします。

実は一番下の娘が”発達障害”と言われました

まず、今現在娘がどのような状態なのかと言うと、言葉が同年代の子供よりも2才くらい遅れています。発覚したのは4年前の3才の頃に保育園で積木を積むテストをした時に他の子供より出来が良くなくて、保育園の先生と居合わせた保健所の方から『一度娘さんを適性検査させた方がいいですよ』と言われたのがきっかけです。

発達障害って何?

発達障害と自分の娘、見た目にも紐付かないくらい健常に見えるし、当時も親としてはその事実を認めたくはありませんでした。親ならその瞬間どんな形でもネガティブな想像をすると思います。でも我が子です。目を背けることなんてできません。

とにかく適性検査の結果が出るまで”障害”に関して覗いてみることにしました。
・自閉症
・チック症
・学習障害
・発達障害

大きく分けるとこのような障害があり、昨今では何かにつけて〇〇障害と言う言葉がつけられるほどたくさんの障害があるそうです。中には実態のない言葉もあり、こうなってくると親としては、『何でもかんでも障害と言われる事が嫌だな』って思えてきます。そうこうしているうちに結果が届きました。

結果は発達障害の中の”言語障害”という診断結果でした。

言語障害って何?

言語障害を一つとっても症状は様々で、専門家の見解では家の娘の場合、言葉を使って聞く・伝える力が2才ほど遅れている事、科学的な知能指数(IQ)が60程度しかないので障害の範囲にあります。という事でした。人より優れていることではないので受け入れがたい現実でした。でも早く受け入れなければならないことでもあります。
それは後に分かったことですが言語障害を持つ娘が受けるストレスはすごく大きく、知らないうちに取り返しがつかないほど頭の中がストレスで肥大して人格を壊してしまうリスクがあるということです。
ありがとうを伝えられない、伝えても理解されない。ごめんなさいを言えない、言い訳できる程に会話ができないので、悲しい怒るを涙でしか表現できない。分かってもらえない。
これらが自分や周りが気づかないうちに本人だけが抱え込んでいる状態、つまり言語障害の一番辛いところでもあります。

自分は事実を受け止めることから始めました

言葉で表された障害という現実と娘の現状について落ち着いて把握することにしました。まずは”障害”というイメージ、これは私にとって良い思い出がありません。
20年以上も前の話になりますが、私が中学校のカリキュラムで養護学校へ研修にいく事がありました。障害の重さでクラス分けがされており、自分が担当したクラスが一番重度のクラスでした。その日は合同で学校周辺を散歩する行事があったので担当する子と手をつないで散歩することにしました。その担当した子が自分よりも一回りも大きい子、年は18才だったと思います。真っ直ぐ歩かない、力が強い、つばは吐かれる、散歩が終わった時には自分の体操服は引きちぎられ破れていました。これが自分が思う健常と異常の境界線であり、悪しきイメージになってしまった理由です。だから私の娘に障害という認定をされて塞ぎ込んでしまう自分がいる事が事実です。
もう一つは娘の障害を把握している人が言う『大丈夫だよ』と言う言葉を鵜呑みにしない事。じゃあ大丈夫じゃなかった時に責任取れますか?ってひねくれた捉え方かもしれませんが、その大丈夫と言う言葉は果たして本当なのだろうか?安心して良いのか、安心させるために言ってくれているのか?しっかり娘の前でフィルターになってあげないといけない、決して安心のできない現実。

娘が自覚をしていない、あるいは将来自覚した時に嫌な思いをしないか?これから先どのような娘にとって苦しいケースが起きたとしても自分は見守って行けるか、娘が自分にはない経験をしていく上で受け止めてあげられるのか不安があると言う事実。

もし私と妻の体が動かなくなってしまって見守る事ができなくなった時に、一人でも生きていけるのか…挙げればキリがない程先が不安で仕方がないです。

これらが4年前に発覚したことと、その時に感じたことでした。

娘に合わせた生活環境と支援

娘は未満児保育から始まり、年少年中は特別支援の保育園に通うことになりました。
正直最初は抵抗がありましたが、蓋を開けてみるとこの保育園は何が違うのかと言うと”先生の数が生徒に対して多い”と言うだけでやることは変わらないんです。
普通の保育園の場合、15人に1人の先生、特別支援の場合は5人に1人の先生がついてくれて、聞く伝えるが遅い娘にとっては先生が身近にいてくれることによって安心感があるそうです。特別支援の保育園を覗いてみてもそれは明らかでした。抵抗感を抱いていた私ですが結果良かったと思える生活でした。先生にしっかりみてもらえる、なんと言っても娘が楽しく生活している様子などみて名残惜しくもありましたが、年長時には普通の保育園に通い集団生活に慣れる1年を過ごすことになりました。

並行して”言語訓練”を市の支援センターに相談して、専門家の下指導してもらいました。これに関しては保育園でもやっている言葉遊びを分析しながらレベルに合わせて教授してもらうことで普段の生活で気をつけることなどを教えてもらいだんだんと克服していく、あるいは娘の良いところを伸ばしていく。そんな支援でした。
1回に20分程度の訓練なのですが、10分ほどで娘は集中を切らしてしまいます。
普通であれば『集中しなさい』と言いたいところですが、先生はこう言いました。
『娘さんにとっては物凄い頭に負荷がかかっている状態です。むしろ10分できたことをやろうとしていることを褒めてあげてください』ハッとしました。
家では普通に会話している事でも娘にとっては負荷がかかっている事があることもここで初めて知ったこと。その上で叱ったこともあります。申し訳なかったと反省でもあります。小学校に上がるタイミングで『あとは学校の生活で徐々に理解ができるようになり、改善されていくでしょう。』と先生は言って言語訓練を卒業しました。

小学校に上がり、小学校でも”特別級”と言う分類の教室で生活をすることになりました。ここでも教科によっては少人数、先生が生徒5人に1人でみてくれるような環境。
一般級との行き来にはなりますが娘が楽しく生活している様子は授業参観や兄姉の報告から見ても明らかで、先生を初め、専門家の方達のおかげで苦がなく生活を送れています。

事実を受け入れた、その4年後の今は?

その娘が今は小学2年生になり、どんな変化をしたかと言うと一言では表す事ができませんが、着実に成長しています。とはいえ色々なことに追いついているわけでもありません。遅れたままです。音読で言うとカタコトのような喋り方になるし、算数で言えば1年生の一桁の足算ができる程度です。単語は理解できている部分もあるとは思います。文章になると理解が難しくなります。

これから先どうやって向き合うのか、どんな展開があるのか

重い軽いの症状はありますが、克服が出来たとしても障害は障害です。
ここまで書いてしまうと読まれる方の中には嫌な思いをするかもしれませんが、断言して言えます。家族が今まで苦しんで向き合ったこと、本人がもっと辛く向き合ってきたからこそ言えることもあります。でも何かを諦めているわけではありません。障害だろうが何であろうが希望しか先にはありません。
知った時はショックでした。今は私、妻、兄姉が娘の障害と向き合って生活したことで障害を良い意味で理解をして、優しく、思いやってあげられるようになりました。
前まではできなかった一緒に笑っている意味であるとか、感動することもそうです。障害のある娘が自然に頑張って克服することでみんなと楽しく豊かに生活できるようになりました。だから障害が障害であるから悲しいとか全く思わなくなりました。普通が普通でなくなることや、幸せを幸せとして維持できない方が悲しく思います。

自分はこう思いますし、世の中が言い出していることに期待します。
”これからの時代、学力ではない、人が尊厳し合う事が重要になっていく時代だ”
今までは勉強して良い会社に勤めてお金をいっぱい稼いで生活を満たしていく事が幸せであって、結婚、子孫繁栄する事が豊かにしていく事だと、そう思っていました。
だから娘の将来が不安でした。何も手につかむ事ができないと決め付けてしまっている私も不安を自ら募らせていました。

学校では勉強を、家では充電を

当たり前な話ですが、自分は親であって先生ではないです。子供にとって先生になっていけないと思います。当然宿題をやる事、自発的に復習することを止めることはしませんが、家に帰ってきてゆっくりすることや好きなことに使う時間を作らないと大人だって文句が出ます。子供が小さい赤ちゃんの頃には言葉の意味がわかりませんでしたが、子は親の背中を見て育つ、これだと思います。何だっていいと思います。
料理、掃除、ゲーム、運動、趣味。何か親が、家にいる誰かが動くところを見ています。『あっ!私もやろ!』心の中でそう思って娘自身が行動したら心の調整を、『ゆっくりしよう』と思えば休憩、充電を。そうやって日々調律していく事が重要であって成長と個性が伸びていくんだと思います。綺麗事ではなくて真摯に考えていたらその通りだと思います。

全てが娘のためではありませんが自分(親)が出来ること、楽しんでやる姿を見せてあげられて心や体の休息や栄養になればと思い浅くではありますがいろいろな事をやっています。その中で何か興味のあるものを娘が自発的に向き合おうとすることが大切であって娘が楽しいと思い笑っていられるのなら自分は”良かった”と。素直に思います。

勉強のやる気スイッチが入ったら…

学校でなのか家でなのか娘は算数の勉強に熱が入りだしました。とても良い事です。
学校に入ってから勉強に取り組む姿勢を見せたのは初めてです。教えてと言われるまで教えるつもりはありません。言っても言語障害です。先生と自分の教え方が違っていたら正解が一つでも考え方が異なると悩んでしまうかもしれない。入ったスイッチが切れてしまうかもしれないと思ったら慎重に考えてしまいました。

こんな方法を取り入れてみました

悩みに悩んで、頭にスッと入るような勉強方法。
娘にはこれだ!と思って実践しています。それは、数字を書きながら大きな口で大きい声をだして一緒に読む方法です。
娘はよく歌っています。大きな声で発音よく。大人でも10回は聞かないと覚えられない歌でも要領よく覚えます。だから考えました。

声をだしたものは印象に残って頭に入るのではないか?』

答えが一桁の足算と二桁の足算の宿題がありました。一桁の足算は考えて指を使って答えを出したり、暗算で答えたり正解を出す事ができます。
二桁の答えの足算は全くと言って良いほどできませんでした。

実戦したのはこう言った方法です。
自分:『じゃあ、一緒に数字を大きな声で読むよ。』
娘:『うん!』
二人:『1、2、3、4、5、6、7、8、9、10』

ここまでは順調でした。
二人:『11、12、13…』
声が小さくなり、止まってしまいました。気付きました。計算がどうこうじゃなくて数字を理解していない事が、自信がないことにも。
自分:『じゃあ今度は手を叩きながら11から一緒に読むよ』
娘:『うん』
二人:『11、12、13、14、15、16、17…』

少しづつではありますが声の大きさも維持しながら自信を持って伸びていきます。
それを繰り返しているうちに20まで言えるようになったら今度は目を瞑って
自分:『頭の中で数字書ける?』
娘:『ん?』

言葉がわからないんです。なのでこんな説明をしました。
自分:『家に帰ってきてから何食べた?』
娘:『緑のアイス、抹茶のアイス』
自分;『給食で何食べた?』
娘:『ラーメンにトマトのソースかけて食べた(ソフトめんだと思います)』
自分:『何色だった?』
娘:『ラーメンは白で、トマトは赤だった』
自分;『じゃあ黄色ってどんな色?目をつぶって頭の中でお絵かきしてください』
娘:『うん。書けた』
自分;『白、赤、緑、紫、書けた?』
娘:『うん。書けたよ!』
自分;『じゃあ、11、12、13…書けた?』
娘:『待って!早い!書いてるよ』

理解をしてくれました。これも20まで頭の中で書けるようになったらこう言いました
自分;『あとは宿題を自分で家の誰にも聞かずにやってみな。大きい声で、リズムに乗って歌うように、書いて、頭の中にも書いて、今度は絶対できるから』
娘:『うん!わかった!』

すごい素直だなぁって思ってみてたら、スラスラ答えていたんです。自分を含め家族の誰もが驚いていました。当たり前なことにも伝えることのできない感動があるんです。
宿題も終わったのでもうおしまいにしようと思ったのですが、娘からのリクエストでその日はひたすら声を大にして数字や色、アニメのキャラクターの名前、食べ物を復唱しながら叫んで笑っていました。あくまで我が家の方法ですが娘の障害に対してコミットしていることを実感しました。

普通でないことは全ての人に当てはまっていることだと思います

『自分は普通の人間だ』こうやって思う人もいるかもしれませんし、そうやって思いたいことだって時にはあります。しかし、普通の人なんて見た事はありません。普通ではないと言われる事が実は褒め言葉だと思っています。普通でない事が魅力であったり、一芸であったり。これからの時代人が尊厳し合う事が重要であるならば普通である事が尊厳し合うことではなく、良いところ悪いところと向き合った時支え合う事ができる事、吸収することや見習うこと、刺激したりされたりすることで磨かれる。そんな時代がきたら障害という言葉に劣等感や不安を感じる事がなくなり、考え方にはなるかとは思いますが、健常障害が”個性”という時代になるかと思います。
その個性に気づくのは自分自身ではなく身近な誰かです。
私は障害を持つ娘に対しての思いこみや概念に問題がありました。
娘には何の問題もないことを時間はかかってしまいましたが最近気づく事ができました。だから大丈夫だと今は胸を張っていう事ができます。
乗り越えたというよりは自分の勘違いであり、結果、娘本人が一番分かっていて安心されてくれていたというお話でした。

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