以前に紹介させてただいた記事では実際自分の小学2年生になる子供が障害というものを抱え、本人や親である自分がどう向き合っていけば良いのか、自分が思う経験や体感したことを書いてみました。(内容は↓の記事になります)
今回は”発達障害”と”会話”という観点から話をしていきたいと思います。
言語の障害で一番問題なのは”会話”だと思います
発達障害に置いて専門家ではないあくまで”親”目線になりますが、一番大切なのは
”会話をする”
それだけのことです。この会話というものが大切でもあり問題でもあり繊細になる部分でもあります。障害を持たない健常な人同士でも大切なのは言わずとも当たり前なことです。ただ一つ言えるのならば会話の質を変えて伝えることや聞く事が言語障害の自分の子供にはとても必要になっていることに気付きました。
具体的に言えば、会話で言葉を理解するスピードが違うとどうでしょうか?話について行ける人はスムーズな言葉のキャッチボールができてインプット、アウトプットができるかと思います。
言語障害の人は伝える聞く処理が遅いため理解せずに会話が進んでしまうことによってインプット、アウトプットができません。自分の子供で言えば言葉で発することができずに物に当たる、急に泣き出す、叫ぶ。言葉にできない辛い苦しい感情を体で仕方なく伝えようとすることを目の当たりに見てきました。その感情は自分の子供にとっても言語障害を抱えている人、健常な人でも該当する人はいると思います。知らないうちに気付いてあげられない事が傷つけるきっかけになってしまい、当時気がついてあげられなかった自分を悔やんだことを思い出します。
会話の質を変える
自分の子供が言語障害だった事で自分、妻、兄弟に教えてくれる事がありました。
それは会話の質を変える事です。
どういう事なのかというと普通に会話をする情報量を縮小・短縮するという事です。
例えば『この前行った〇〇動物園の〇〇ってお猿さん可愛かったね』という内容の〇〇を会話の中で消して伝える事や『洗い物持ってきて』を『コップ持ってきて』だとか物を特定して伝える事を意識しています。
どんな話でも良いんです。目は見えています。耳は聞こえています。声も届いていますし感覚も持っています。問題なのは”情報の処理”これがしっかりできているかどうかがまずは重要になってきます。
会話の記憶を持つ、復習する
次に記憶という部分が重要になってくるかと思います。先ほどの動物園の会話に例えると、動物園に行った、お猿さんを見た、この記憶は会話をして理解ができていればインプットされているはずです。時間をあまり置かずに〇〇動物園、〇〇って名前のお猿さんと情報を増幅させてあげられる事ができれば言語障害があったとしても自分の子供の障害の度合いであれば理解ができると思います。コップが誰々のコップ、使った食器は洗うという日々のルーティーンができれば普通の子のように理解はできるはずです。
日常に当たり前のようにある事を行動だけではなく言葉として伝える聞くを癖づければきっと『次はこーやって言ってくるんだろう』『これやったら褒められる叱られる』会話の予測だってできるようになります。
周りも成長する
あまり障害という言葉を多用はしたくないのですが、運命だったんです。それを正直不幸だと思うこともありました。でも大きな間違いです。この運命は妻、一番驚いたのは兄弟が自然に考えて会話をしてくれていること、これは親ではできない事、子供が気付き成長を促してくれるきっかけでもありました。
子供達の会話は子供達の目線や感性が近かったり、笑うツボもそうです。外でも書類上でも”障害”には変わりありません。子供達が創る空気というのは大人では創ることのできない、ある意味隔たりとも取れる世界を平等という世界につくり変えてくれています。それは教えたことでもありませんし、きっと感じて自然と行動に移してくれたのだと本当に兄弟に恵まれているのだと感謝でしかありません。
なので障害を持つ本人は言葉を全て理解できていないかもしれませんがとても楽しそうに笑っています。
聴くことの構え方
じゃあ自分、親たちには他に何ができるのか?今でも正直悩みます。
自分ができることは”聴く”ということ。ここに今では重点を置いています。
”聞く”と”聴く”は少しだけ意味が違います。聞くというのは無意識に耳に入ってくる音です。”聴く”というのは耳を傾けなければ聞こえない音です。つまり伝える力が弱い我が子には聴く姿勢を持って接していく事が大事なのだと思います。
言葉を発することは自発的なものです。どんなことでも良いです。バカ、う○ち、汚い言葉も言います。それでも呆れることなく聴くことで『何を思ってその言葉を使ったのだろう?』と漏らすことなく受け止めてあげなければキャッチボールすら始まりません。汚い言葉ばかりではよくありませんが繰り返しているうちに子供は良いこと悪いことに区別を付けるはずです。
最終的には”会話をする”が”会話が成り立つ”ようにと、当たり前に見えるものが今我が家は感動にもなっています。良く聞く小さな幸せがというのが我が家にとっては大きな幸せを感じさせてくれる、そんな運命なのかもしれません。
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