私事ですが、つい先日”ハラスメント教育”なるものがあり、講義を受け真っ先に思ったのが
「あっ!自分のこと言われてるかも…。」と感じてしまいました。謙虚に聞いていたので大袈裟かもしれませんが、それでも相手の素性は分かりません。講義を聞き終え「気をつけよう…」と。でも考えすぎたら、人と話が出来なくなると思って、それも悩ましいです。考えさせられます。
持論ですが、”トラブル・ハラスメント⇔観察・行動⇔構え方”その点書かせていただきたいと思います。
本日もよろしくお願いします。
「あのさ、〇〇さんのことなんだけど、気性が荒いからちょっと接し方に気をつけてね。」
「実はその件で私も思う節が…。」
「あっ!〇〇くん、上司が〇〇さんのこと言ってたから接し方に気をつけてね…。」
「あっ、その件知っています。周りでも”腑に落ちない”という人がたくさんいて、僕なんか我慢するしか無いので、愚痴として発散しています。」
っとチームで働いているとトラブルは付き物です。そしてそのトラブルは終わることのない輪廻を描き働く人達の重石になっている、まさに私も輪の中入って大活躍をしています(笑)
「全くそんなこと無いよ〜」って人はごく僅かではないでしょうか?
”彼を知り己を知れば百戦して殆うからず(危うからず)”
敵も味方もない話ですが、常々そう考えて人と接していられるように努めているヒロブログ室長ですが、その一言で飾れるほど華々しくはありません。
トラブルが解消されれば一番なのですが、厄介なことに最近では”ハラスメント”という言葉と板挟みになり、行動が敏感に。発言も何か怖さからか縮小気味。上手にコミュニケーションが取れずトラブルを起こす側や起こされている側双方に問題となっています。もはや良いも悪いも、正義も悪もないような触れないほうが良いと問題が飽和状態になっていることが多いです。
ハラスメント…正直何か言葉だけが先行してしまい、定義が定まらないものだと感じています。現状私の周りに聞いてみても言い方や受け取り方で大きくニュアンスが変化すると口にする人ばかりです。
上記のやり取りも受け取り方次第では上からの問題丸投げのように聞こえてパワハラ?愚痴を言ったのなら言われている人がモラハラ?なんて構図も今の世の中通ってしまいます。
しかし、本当に困っている人がそれを訴えにくいのが問題ではないでしょうか?
背景に感じる要素3つ
おそらく多くの人は「訴えてやる!」なんて相当なことが無い限り考えていないと思います。気疲れしますし、エネルギーも浪費します。彼を知り己を知れば百戦して殆うからずを多用しますが、いくら苦手な人でも親切にしていたら双方嫌味はありません。それがおせっかいになれば相手を理解していなかったのだと反省して、とにかく良好な土俵を作ってしまえば良いのだと思います。
私はトラブル・ハラスメントの渦中にある人の特徴として”劣等感、自尊心、無関心”3つの要素”がその背景にあるのではないか?推測します。
周りと比較するようになった
大人が社会に出て仕事をしていると、頑張っている人に対して自分は…という劣等感。下を見たときに感じる優越感。この差が歳を重ねていくうちに大きく感じるようになり、紳士に受け止められる人は向き合い、そうでない人は避けるように行動する。実力でも見えてくると思います。
これは私自身にも強み弱みがあり、言えることでもあります。
差が見えるようになった
そして比較したときに感じる”差”というものは感じるものが大きくなるほどに優にも劣にもコントロールが難しくなります。そのときに素直に相手をすごいなぁと思える尊敬の眼差しなのか、妬みに感じてしまうのか、自分を守るための尊厳の幅のような大きさは変化するのだと思います。
客観的な視野で見ることが多くなった
「自分は自分だから…」と相手と非なるものと切り離し関心をなくす見方をする。周りを伺いながら主張はせずにトラブルに予防線を敷いておく。コレが一番安全だと思い私も「彼を知らず己を知らず戦わない」と逆語のような行為をしたこともあります。
ただ、この行為こそが思い込みを生み、時に平常とは異なる常識として「自分は真っ当な考えをしている」その間違いを生んでしまいます。
ついには謝ることが出来なくなる
ビジネスに於いては謝る行為は敗北を意味することもありますが、ここで言うのは性格で言うところの歪んだプライドから来る”謝罪ができない”という意味での謝る行為です。
”まさか後輩に謝るなんて思いもしなかった”いやいや、それは間違いです。むしろトラブルやハラスメントのターゲットは下に対してのほうが絶対にやりやすいのですから。誰に対しても正しい筋という意味で”秩序”は保っていたいと自身思っています。
トラブルの最中、渦中に自分がいるのなら必ず「俺は悪くない!」と思って当然です。そう気持ちを持ち相手に謝罪を要求したくなります。その中に実は「相手はどうやって思っているのだろう?」と思う気持ちも必ずあります。
50対50の関係
波風の全く立たない人間関係は”0対0”です。人間関係が始まる前の状態にあります。
仕事関係に友人、恋愛、夫婦の関係。接すれば必ず0ではなくなり何かしらフラグは立ちます。
100という数字があるとして押し引きして50:50になることが一番理想でありますが、そこには喜怒哀楽や与え与えられるもの、許し許されるものが相まって常に数字としては振れている状態にあると思います。振れ続けるのは刺激をし合う意味では必要なことです。
目指すところは、
「いつでも50に戻せることのできる器を持つこと、対等であること、努力すること」コレだと思っています。
持ちつ持たれつ、足らないところは補い、余裕があるのなら思いやる。私が今回講義を終えて気をつけようと感じた部分です。
ハラスメントとは?
ハラスメントの起源は1970年代にアメリカのフェミニストが作った造語であり、語源は「苦しめる、困らせる」という意味を持ちます。比較的近代になってからの言葉であります。
文中にもありましたが歴史の浅い言葉ですので意味の取り方、定義が定まらないのが現状です。
調べて私なりに完結に解釈をすると、
アメリカのフェミニスト(女性の権利を尊重する人)が女性蔑視に警笛を鳴らして、平等な社会を目指そうよ。という意味に捉えています。
それが日本に伝わり、男性にも使われるようになり、「〜的苦痛」「〜で嫌がらせをする」という意味で細分化されてピンっと来ない人もいるのではないでしょうか?
困っている人は確かに間違いなくいます。ただ、気にしすぎて伝えることも伝えられないこと(相談のつもりが愚痴を言い過ぎて”モラハラ(精神的苦痛)”を与えてしまう)で困っている人も確かです。
であるのならとりあえずハラスメントという言葉ではなく「苦しくないか?困っていないか?」その現状に気づき、耳を傾ける合うことが大切なのではないでしょうか?
と、考えさせられたお話です。長文読んでいただきありがとうございました。
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